2005/07/15●公明新聞より
ハンセン病訴訟/控訴断念から4年
差別と偏見のない社会へ/強制隔離政策の傷跡今も
進む入所者の高齢化/支援もとめる声相次ぐ/熊本県合志町の菊池恵楓園


▲改築中の社会交流会館に移設された、隔離政策の象徴の「望郷の窓」。一般公開も予定されている=6月20日 熊本県合志町
 歴史的なハンセン病訴訟の控訴断念から4年。国立ハンセン病療養所の菊池恵楓園(熊本県合志町)を、このほど坂口力前厚生労働相(公明党副代表)が4年ぶりに訪問した。ここでは、その模様をまとめるとともに、元患者らの人権救済に尽力してきた坂口前厚労相に公明党の取り組みや今後の課題などを聞いた。

 厚労相(当時)としてハンセン病問題解決への突破口を開いた坂口党副代表(衆院議員)は6月20日、熊本県合志町内にある全国最大の国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」を訪問。江田康幸衆院議員や地元議員とともに、「界壁」に空けられた「望郷の窓」など強制隔離政策の傷跡を見て回るとともに、原田正孝園長や入所者自治会代表らから要望を聴取。差別解消に向けての対策を探った。

 同園内には、高さ約2メートルのコンクリート製の逃亡防止用の壁「界壁」のほか、規則を破った入所者が入れられた監禁室など隔離政策を象徴する施設が残る。

 坂口氏ら一行は、療養所内の医療施設や老朽化して撤去工事中の同園西側の壁をつぶさに視察。納骨堂では献花した。来年(2006年)秋の開館予定で改築が進められている「社会交流会館」(2階建て、延べ床面積1684平方メートル)にも足を運び、1階部分に前もって移設された最大横幅約20センチの楕円形の「望郷の窓」(入所者が外界へ思いをつないだのぞき穴)のある界壁などを視察。職員らの説明に耳を傾けながら、坂口氏は歴史的遺物を感概深げに見入っていた。

 園内の「やすらぎ総合会館」で開かれた入所者との懇談会では、工藤昌敏・同園入所者自治会長が、坂口前厚労相の控訴断念へ導いた英断と、即座に同園を訪れて、入所者に謝罪した行動に幾度も感謝を表明。志村康・同自治会副会長らが、入所者の平均年齢は76歳と高齢化が進み毎年20〜30人が死亡、最大1740人いた入所者が現在、518人に激減しているという厳しい実態を指摘。「同療養所の入所者がいなくなるまで存続を」「夜間介護を充実して」などと要請したほか、患者の名誉回復、社会復帰支援、人権侵害の再発防止などへの協力を訴えた。

 これに対して、坂口氏は「人の心の壁を取り除くのがこれからの仕事。入所者の皆さんが、一日でも健康で長生きできて良かったと言えるように、厚労省などに働き掛けていく」と答えていた。

坂口前厚労相(党副代表)に聞く
“心の壁”取り除く努力を
政策の是非 不断の検証が必要


――4年ぶりに菊池恵楓園を訪れた感想は。

坂口 強制隔離の象徴だったコンクリート壁が解体されるということで、一つの節目として同園を訪問した。入所者が故郷を偲び、壁に穴を開けた「望郷の窓」はハンセン病問題を後世に伝える史料として保存されると伺った。入所者の心情として、一人になっても恵楓園に残りたいという想いが強い。会長をはじめ、入所者の高齢化も進み、介護の問題も浮上している。今後も定期的に元患者の声を聞いていく必要があると感じた。

――今年(2005年)の3月には、検証会議の最終報告書が提出されました。

坂口 なぜ治療方法が確立したにもかかわらず、差別・偏見が続き、隔離政策が継続したのかについて、委員の大変な努力があり、報告書がまとめられた。現実問題として、元患者に対する差別・偏見はまだまだ大きい。熊本県南小国町のホテルで起こった宿泊拒否問題では、抗議した菊池恵楓園側に対し、社会からの強い批判がなされたが、人々の中にある差別意識の根深さを改めて痛感させられた。難しい問題ではあるが、政治の責任として取り組まねばならない課題だ。

 最終報告書では、政治や行政、マスコミ、裁判所などの姿勢について、あらゆる角度から検証がなされている。元患者らの権利の法制化や簡易で迅速な人権救済制度など、報告書の提言を速やかに制度化して実行する必要がある。強制隔離の壁は取り払われたが、人々の心の壁をどう取り除くのか。党としても、行政としても、真剣に考えていかなければならない。

――政府の控訴断念には副代表をはじめ公明党の多大な尽力がありました。

坂口 2001年5月11日に熊本地裁判決が下り、控訴断念が決定したのが5月23日の夕方だった。この13日間は、厚生労働省として3年10カ月の任期の中で、巨大な官僚集団との意見の違いをどう乗り越えるのかという重大なテーマを克服する期間だったと思う。検証会議の設置にあたっては、厚労省に対して、ハンセン病の問題に限らず、前例踏襲の慣行が正しいのかどうか検証することの意義を強調した。

 スタートの時はそれなりの理由があって、誰からも非難されることのなかった問題でも、時代ととも状況が変化していることも多い。隔離政策が少なくとも1960年以降は必要でなかったことは、厚生労働省自身が一番よく知っていたはずだ。時代の変化に敏感であるのかどうか。間違いがあった場合には、指摘を真摯に受け止め、必要な方向転換ができるかどうか。政治も行政も、そうした姿勢をなくしてはならない。

ハンセン病問題の経緯と公明の取り組み

2001年2月
7日 党厚労部会、ハンセン病訴訟の原告団から、早期解決など要望受ける

同5月
11日 ハンセン病訴訟熊本地裁判決で国が敗訴
14日 坂口力厚労相(当時)が原告団と面会。控訴断念など要望受ける。
    同厚労相、改めて謝罪の意を表明。
17日 神崎代表ら、控訴断念を政府に申し入れ
23日 政府、控訴断念を決定

同6月
1日 坂口厚労相、省内で原告団代表に正式に謝罪。
   過去の施策の検証が必要との考え示す
7日 衆院本会議で、ハンセン病問題に関する国会決議を全会一致で採択
8日 参院本会議で、同国会決議を全会一致で採択
15日 ハンセン病補償法成立
16日 坂口厚労相、桝屋敬悟副大臣(当時)ら、熊本・菊池恵楓園視察。
    全療養所の訪問を開始

同7月
17日 ハンセン病元患者らが国に賠償を求めた訴訟で、
    原告と国側が、和解に向けた基本方針で合意。
24日 和解の基本方針を示した合意書に正式に調印。
同日 坂口厚労相、東京・多摩全生園視察。15カ所すべての療養所での謝罪を終える

2002年1月
30日 非入所者・遺族の和解が成立、ハンセン病問題の司法上の全面解決

同10月
16日 ハンセン病問題に関する検証会議発足

2005年3月
1日 検証会議、最終報告書を公表