さい帯血移植の普及を推進しました。
 白血病など血液の難病に有効な治療法であるさい帯血移植を日本に普及させよう―。公明党は公的バンク設立などをめざし、ボランティア団体とともに署名運動を展開。多くの国民から寄せられた真心の署名を、さい帯血移植への医療保険適用、公的さい帯血バンク設立へと結び付けていきました。以来、さい帯血移植による成功例は全国で増え続けています。

国の対応が異例の早さで推進

全国から寄せられた多くの署名と公明党の真剣な訴えが実を結びました。

 「さい帯血はぼくの命の恩人です」―。2000年3月、国会を訪れた鈴木康則君(当時16歳、千葉県袖ケ浦市在住)は、書いてきた手紙を朗読し、さい帯血移植の普及を後押ししてきた浜四津敏子代表代行らに感謝の気持ちを伝えました。
 「体中にがん細胞があふれています」との医師の説明は、康則君の母親の良子さんには死の宣告に聞こえました。病名は急性リンパ性白血病。99年2月のことでした。治療を続けても病状が好転せず、苦悶する良子さんの頭に「さい帯血移植」という言葉が浮かびました。公明党が行っていたさい帯血移植を推進する署名運動に協力した際、白血病などの治療に有効であるとの話が頭の隅に残っていたのです。
 藁にもすがる思いで、良子さんは担当医師に相談しました。しかし、返事は「成人には無理」とのこと。ところが、偶然にも康則君の入院する病院を訪れていた東大医科学研究所の医師が、康則君にさい帯血移植をすすめてくれました。その後、東大医科学研究所病院に転院し、さい帯血移植は無事成功。康則君は一命をとりとめることができました。
 こうしたさい帯血移植による成功例はこの5年間で着実に増え、血液の病気などに苦しむ患者にとって大きな希望となっています。

臍帯血移植と公明党の出会い

さい帯血移植の問題に党として全面的に取り組むことが決まりました。

 さい帯血移植と公明党の出会いは、97年の夏に遡ります。
 同年7月19日に東京で開かれた「日本さい帯血支援ボランティアの会」(有田美智世代表)第1回全国大会の会場に、真剣にメモをとる浜四津さんの姿がありました。同会のメンバーの一人に誘われ、一参加者として出席したのです。
 出産時に捨てている胎盤やへその緒に含まれる血液(さい帯血)で白血病や再生不良性貧血などに苦しむ患者が救えるとの話に、浜四津さんは引き付けられました。
 「人の命が救えるなら、私にできることは何でもさせていただこう」
 大会終了後、浜四津さんは有田代表と会い、厚生省(当時)への働き掛けや国会質問で取り上げていくことなどを約束しました。
 浜四津さんは党中央幹事会で提案。「女性局として公的さい帯血バンク設立と保険適用を求める署名運動に取り組みたい」。概要を聞いた党幹部全員が賛同しました。「大事な問題だから党として全面的に取り組もう!」。
 その後の行動は迅速でした。党組織を挙げて公的バンク設立などを求める署名活動と、地方議会での意見書運動を展開する方針が打ち出されました。
 公明党の当時の対応について有田代表は、著書「新しい命が救う、もう一つの命」の中で「自ら進んで協力を申し出てくれ、党内の方針をまとめ、署名のアピール文まで用意してくれている政治家など、私の運動の経験の中でもなかった」と書いています。

37万人を超す署名が集まる

公明党のリードで公的バンクの設立と移植への保険適用を求めました。

 97年8月1日、東京・新宿駅の街頭で女性局の署名運動が始まりました。その日を境に、各地の公明議員や女性党員らが署名活動を全国的に展開。署名の協力をお願いした友人から「サイの対決って何?」といった質問が出るほど、当時はさい帯血移植への理解はほとんどありませんでした。しかし、「新しい命が、もう一つの命を救うことができるのよ」と、有効性を語りながら署名運動を進めていきました。
 運動開始から約1カ月。37万人を超す署名が全国から寄せられ、反響の大きさに改めて驚かされました。同年9月25日、当時の小泉純一郎厚相に署名簿を提出した際、同厚相は「さい帯血移植は賛成だ。ぜひ進めたい」「日本になぜ、こんないいことが広まらなかったのか」と述べ、さい帯血移植を強力に進めていく考えを示しました。
 一方、署名運動と連動させて進めた地方議会での意見書運動も全国へ拡大。公明党議員のリードで多くの議会で採択されました。国会の場でも、浜四津さんをはじめ江田康幸衆議院議員も質問で取り上げ、公的バンク設立と移植術への保険適用を求めていきました。

新しい命が、もう一つの命を救う

移植への保険適用、公的バンク設立、検査費保険適用等確実に実現しました。

 多くの署名や意見書運動などを背景に、公明党の迫力ある主張に突き動かされるように国の対応は異例の早さで進んでいきました。さい帯血の移植手術に対する保険適用が98年4月1日にスタート。99年8月には国が支援する「日本さい帯血バンクネットワーク」が設立されました。署名運動開始からわずか2年の“スピード決着”でした。
 さい帯血移植に保険が適用されたことによって、それまで患者が支払う移植・治療費は1000万円前後だったものが、DNA(デオキシリボ核酸)の適合検査を行った場合でも月額5万円程度で済むようになりました。こうしたこともあって、さい帯血移植の実施件数は、加速度的に増加。97年の18件に対し、99年の移植件数は221件にも上り、累計で721件(00年9月末現在)となりました。
 公明党はさい帯血利用料への保険適用にも取り組み、00年4月から、利用料の一部であるさい帯血検査費への保険適用が実現しました。

力強い味方、今後も期待

日本さい帯血バンク支援ボランティアの会/有田美智世代表

 5年前に浜四津敏子参院議員と初めてお会いして以来、公明党は私たち「日本さい帯血バンク支援ボランティアの会」の運動を一貫して支援し続けてくれています。あの時、こんなにも早く、さい帯血移植に対する環境整備が進むとは思ってもみませんでした。
 当初、私たちの運動に対する浜四津さんからの応援の申し出に、公明党と一緒に進めるべきかどうか、世の中の目も考え悩みましたが、「自分の立場より、患者の命を第一に考えよう」と最終的に決断しました。今は、公明党を選んだ自分の判断の正しさを誇りにしています。信頼に足る人たちを信頼し続けてよかったと思っています。
 公明党は、社会的に立場の弱い人たちのための政治に真剣に取り組んでいる政党であることがよく分かりました。私の周りには、公明党を正しく評価し、「公明党は頼りになる政党だね」との声を上げる市民団体もたくさん出てきています。
 私たちが今取り組んでいる公的バンクの財政基盤安定には、まだたくさんの課題が山積しています。力強い味方として、公明党には今後も力強い応援を期待しています。

公明の要望が全面的に反映!さらに保険適用と法整備に全力

江田康幸・党造血幹細胞移植小委員長

  2003年度予算案では、公明党が昨年6月、骨髄移植とさい帯血移植の発展に向けて行った03年度予算概算要求での要望事項が、ほぼ全面的に反映されています。
 これにより、骨髄バンクの財政基盤が強化されることで患者負担の軽減につながるものと期待しています。また、さい帯血移植についても、バンクの安定化に資することができました。
 さらに、03年度税制改正で骨髄移植と臓器移植に必要なあっせん業務にかかわる患者負担に医療費控除が適用されることになったのは、画期的なことです。公明党も医療費控除創設に向けてバックアップしてきましたが、患者負担が軽減されるだけでなく、あっせん料を税制上、医療費として認めたことは、将来、移植に用いる骨髄とさい帯血そのものに対する保険適用(既に移植術はともに保険適用)への道を開く第一歩になるものと確信しています。
 今後さらに、移植を希望する白血病患者のだれもが、安心、安全に移植を受けられる確固たる基盤を構築するため、骨髄とさい帯血に対する保険適用と新たな法整備を力強く進めていきます。