水俣病大規模救済へ
訴訟で初の和解成立/公式確認から54年/全面解決へ大きく前進/熊本地裁の所見受入れ




江田氏(左)に対し、救済法制定への感謝を述べる村上会長(中)ら=26日 衆院第1議員会館
公明推進の救済法が足がかりに

 水俣病未認定患者団体「水俣病不知火患者会」(熊本県水俣市)の約2100人が国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟の和解協議が29日、熊本地裁であり、地裁が示した所見(和解案)を原告、被告双方が受け入れ、事実上の和解が成立した。
 水俣病をめぐる一連の訴訟で国が和解に応じたのは初めて。1956年の水俣病公式確認から半世紀余り。ようやく被害者の全面解決に向け大きく前進する。

 和解案は、(1)1人当たり210万円の一時金の支給(2)月額1万2900円〜1万7700円の療養手当(3)患者会の活動費などに充てる団体加算金29億5000万円の支払い(4)国やチッソの「責任とおわび」の表明(5)「第三者委員会」による救済対象者の判定――などが柱。熊本地裁は15日に和解案を提示。原告、被告双方に対し、29日の和解協議で受け入れの可否を明らかにするよう求めていた。

 これを受け国は、18日に鳩山由紀夫首相が受け入れを表明。熊本県は24日に蒲島郁夫知事が国と同調する姿勢を示し、チッソも26日の臨時取締役会で和解に応じる方針を決定。患者会は、28日の原告団総会で受け入れる決議をしていた。

 3万人以上に上るとみられる水俣病未認定患者の救済をめぐっては昨年7月、公明党のリードで、救済対象を拡大した上で一時金の支給などを盛り込んだ「水俣病救済特別措置法」(救済法)が成立。国は救済法での解決を受け入れた被害者に対しても、一時金と療養手当を和解案と同額で救済する方針。水俣病の公式確認から54年となる5月1日までに救済手続きの開始をめざしている。今回の和解成立を受け、救済法による救済と併せて、大規模救済が実現することとなる。

 水俣病をめぐる訴訟については、95年の自社さ政権(当時)で「政治決着」が図られたが、救済されない被害者も多かったため、水俣病関西訴訟は継続。同訴訟では2004年10月、77年に旧環境庁が示した国の基準より幅広く被害を認める最高裁判決が下ったことから、患者会を中心に新たな訴訟が起きていた。これを解決するために制定したのが救済法だが、患者会は裁判での解決を求める立場から裁判を続けていた。

 しかし救済法の成立を機に、国と被害者との和解交渉は一気に加速。今回、熊本地裁が示した和解案にも、救済法の救済方針が反映されるなど、救済法の制定が和解への足がかりとなった。

 救済法制定については、「水俣病被害者芦北の会」(村上喜治会長)が05年11月、公明党水俣病問題小委員会の木庭健太郎委員長(参院議員)を通じて、当時の江田康幸環境副大臣(公明党)に、被害者の幅広い救済を求める要望を行ったことがきっかけ。

 公明党は救済法の早期実現をめざし、95年の政治決着で“解決済み”としていた自民党を説得。当時の与党内にプロジェクトチームを設置し、法案をまとめ上げた。さらに民主党も巻き込んで修正協議を行うなど、救済法制定への議論を終始リードした。

 今回の訴訟に関しても、江田氏は昨年11月、衆院環境委員会で「救済法による救済と、(裁判の)和解は“車の両輪”だ。和解協議をしっかり進めていただきたい」と、政府に強く求めていた。

公明党を頼り良かった
水俣病被害者芦北の会 村上喜治 会長


 「水俣病不知火患者会」が、熊本地裁の和解案を受け入れることになり、被害者の救済策が大きく前進することになりました。

 私たち芦北の会も、和解案と同額の一時金や療養手当が、水俣病被害者救済法に基づき環境省から提示されており、受け入れを既に決定しています。

 被害者は高齢化しており、一日も早い救済を待ち望んでいました。

 公明党は、こうした被害者の声に真剣に耳を傾け、これまでに2005年11月の新保健手帳の交付再開など、次々と手を打ってくれ、09年7月の救済法の実現をリードしてくれました。

 今回の和解も、救済法がなければ、とても難しかったことでしょう。公明党を頼りに、救済を求める活動をしてきて本当に良かったと思います。公明党のおかげであり、生涯、この感謝を忘れることはありません。

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